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2+ title : " 145"
3+ date : 2025-10-24
4+ description : " 桐陰会雑誌 第145号"
5+ tags : ["桐陰会雑誌","部誌","年次"]
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9+ ---
10+
11+ ## 電波研究会
12+
13+ まず今年のメンバーを紹介すると、
14+ ※三-一 〇〇 (JG1KBZ)
15+ ◎三-ニ 〇〇 (JG1ITN)
16+ 三-二 〇〇 (JG1EIF)
17+ ○三-四 〇〇 (JG1ETX)
18+ 三-五 〇〇 (JR1ZPM)
19+ となる。(◎責任者、○副責任者、※会計)
20+ この他に一、二年を含めて約二十名で活動した。
21+ ◎活動内容
22+ 昨年で電研は創立二十五年を迎えた。活動内容は左のとおり。
23+ 一年 ― 初歩的な電気の知識 ラジオなどの製作。
24+ 二年 — アマチュア無線。製作その他。
25+ 三年 — アマチュア無線。
26+ 学芸発表会の準備。複雑、高級かつ不完動な(?)エレクトロニクス回路の製作、その他。
27+ ―来年の電研の会員へ―
28+ 今年、どうしても屋上に設置できなかったアンテナをなんとか許可を得て屋上に設置してほしいと思う。アンテナはハムの命ダ。
29+ 学発―学発では毎年事件がおこる。一昨年の学発ではB君が、命から二番目に大事な「無線従事者免許証」と「無線局免許状」を盗まれ悲しみにくれていた。しかし、そのB君、去年の学発では一昨年の屈辱をはらすべく、かたづけのときのドサクサにまぎれていろいろな品物を持ち出した。テーブルタップ、リバーブアダプター、ラジオの部品……。電研以外の人は「何てひどい研究会だと思う」だろう。しかしだれもが同じようなことをして結局損得なしの状態になっているようだ。(でなければクレームがつくよ。尚B君については諸説があるが、このページのカットのモデルだという説が最有力。オレは知らんぞー。)
30+ 話題がずれてしまったもとへもどそう。今年の一年生は制作物が、物にならなかったが、こういうことはあまり好ましくないので来年はガンばってほしい。
31+ それから、年々、免許取得者が減少の一途をたどっていて、来年の三年生にわずかに三人いるだけで現一年生はゼロ、我々の代に比べるとどうも見劣りする。みんな免許をとるように。
32+ 今年の二年生は来年、しっかりやっていけるだろうか?日常の活動にしても何か大きな目標を決めるなりしてガンバッてほしいものだ。
33+ 尚、前述のB君についてはあまり深く考えないように。
34+ 「あとは野となれ山となれ)ゴメン
35+ (〇〇)
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2+ title : " 146"
3+ date : 2025-10-25
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9+ ---
10+ ## 電波研究会
11+ 撮り忘れまたは掲載なし
12+
13+ ## コンピューター研究会
14+
15+ たぶんこの原稿が桐陰会雑誌に掲載される頃、附中にコンビュータ研究会はなくなっているだろう。上から(団体審議など)つぶされたのではなく、自分たちから解散したのである。
16+ 会員8名。昨年から今年にかけて、研究会建てなおしのためにいろいろ努力してきたものの、私たちには、解散しざるおえない理由があった。
17+ 一番大きな理由は、みんなで固まって研究する必要がないという事に気づいたこと、であった。私達の研究は個人でやっても団体としてやっても、余り変わりはなかったのだ。いや、むしろ個人で研究したほうが充実していた。個人で、どこかのコンビュータクラブに属し、コンピュータ講座を受けに行ったり、自分独自の方法で研究を進め、研究会の時は雑談、会員どうしでも、人が何を今研究しているのかわからない。そんな感じなのである。研究会と呼べるものではなかった。
18+ 二番目の理由は自分達で使えるコンピがないという事であった。コンピのない研究会なんて…という感じで、まるでクリープの宣伝と同じようで…機械がないというのは、研究会にとって致命傷だった。幾らプログラムのたて方を勉強するといっても、自分でたてたプログラムがあっているのか間違っているのか、コンピにかけて診断してもらい、どこが間違っているのか機械に指摘してもらわなくてはならないし、自分のたてたプログラムがコンピにかけられないのでは、プログラミングの意欲もわいてこない。だから、コンピの使用できる他のコンピュータクラブに属し…と、みんながバラバラになってしまうのである。なら、附中にあるコンピを使えばいいじゃないかという声が一般生徒の中から聞こえるが、コンピュータ同好会が結成される時に責任者が「附中のコンピは使用しません」と、かっこよく宣言したとか、それに、附中のコンピは、成績とかそういう部類の事を処理するものなので、私達が使っても余り色々なプログラムはかけられない。
19+ 三番目の理由は、指導者がいないという事であった。附中に、私たちにコンピを教えてくださる先生はいらっしゃらないし、生徒の中にずばぬけてコンピに詳しいという人もいなかった。去年から〇〇先輩にいろいろ指導していただいていたが、大学の方があるというで、来ていただけるのは週一回。指導してくださる方がいない、だから、わからない事があっても質問できない、他のクラブの先生に聞きに行く、ということになり、皆がバラバラになってしまうのである。
20+ 今述べたような理由から、コンピュータ研究会は、研究会の意味がないということで解散したのである。
21+ 何んだか コンピュータ研究会の悪い点ばかりを書きすぎたので、今度は、会員の人達への気持を少し書くことにする。
22+ 〔3年生の森君〕
23+ 1年生の時6名いた会員も残っているのは責任者と森君だけ、本当によくやってくれました。プログラミングよりも、コンピュータを組立てる方に興味があって、必死になって加算機を作ったけれども、成功しなかった…。コンピ研の少ない予算で製作した加算機、使用できるようになりますように!
24+ 〔二年生の木村君 高橋君 田中君 森田君 そして、正式会員でない佐々木君へ〕 皆よくやってくれました、どうも有難う。でもどちらかというと研究会より運動部の方に力をいれていた様ですね、加算機!!学発までには絶対まにあうなんていっていのに…完成しなかったのはとっても残念でした。解散してからも、コンピュータにいろいろ興味があるようなので、研究を進めてくださいね!加算機から火を出すなどというまちがいをしない様に。
25+ 〔一年生の森君へ〕
26+ あまり研究会にでてきてくれませんでしたね 一年生がたった一人なので出席しにくかったという事があったかもしれませんが、もう少し頑張ってほしかったと思います。学発の日はどなったりしてごめんなさい。コンピュータに興味があるならば、いろいろな講座を聞きに行くと、いいと思いますよ。口うるさい責任者でごめんね。
27+
28+ そろそろこの辺で終りにしたいと思う。
29+ 今までコンピュータ研究会を指導してくださった諸先生方に感謝の意を述べ、コンピュータ研究会最期の責任者としての、仕事を終えることにする。
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2+ title : " 147"
3+ date : 2025-10-25
4+ description : " 桐陰会雑誌 第147号"
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10+
11+ ## 電波研究会
12+
13+ 電波研究会・・でんけん・・・・・電研 名前からいけば、読んで字のごとし電波を研究する会である。しかし電波と言うものは、目には見えぬ、さわることも、食べること?出来ないと言うしろものなので、実際に電波を研究するわけにはいかない。そこでわれわれが考えたのは、電波に関係あるもの、たとえば、ラジオ、などを研究すると言うことである。しかし、ラジオなどはぼくたちにとっては一番オーソドックスで、面白くないもので、いじりあきたものであるから、結局、もっと他の例えば、マイコンとかシンセサイザーとかインターホンとか、そんな物に興味を覚えて、それらを作り、こわし、いじり研究することになる。そこで、電波研究会ではなくいくらか、関係のあり、存在もはっきりわかる電気を対象にした、電気研究会と、名を改めようと言う話が出た。しかし、結局は名前が変っても研究内容が変わるわけではないので、今のまま、と言う事になった。
14+ さて、研究会が数多くつぶれ行くなかで、この一年間、電研はつぶれもせず、いったいなにをやったのであろうか。まず三年生からバトンを手わたされた時、ほくは一年生であった。つまり、電研には二年生がいなかった。それに、三年生の悪い前例?を見て来たのでこんなもので良いんだ、と言う、安易な態度が身についてしまったらしい。学発にも出たけれど、あまり良いできではなかった。計画も、あまり実行できなかったし、〇〇先生にも見放されるし、あまり良い一年間ではなかった。やった事は、
15+ 一年生 電気の基本、自由制作
16+ 二年生 無線機制作
17+ 全体で 電気通信の研究
18+ 計画としては、1と2を夏休みまでにやって、あと学発まで3をやり、発表しようと思っていたのだが、わが電研の愛すべきMrトライアングル君(この人のことを知りたければ〇-〇の名物人間のところを見ること)のおかげでこの無線機はみごとボツ、もし完成したら管平にもって行こうと許可までとったのに、だめになってしまった。こんなわけで、今年は、あまり満足な事は出来なかった。
19+ 最後に、責任者から来年の希望を少しほど。ぼくは、電研のこともかえりみず、委員長陣選挙に立候補して、どーゆーわけか、当選してしまい副委員長になってしまったので、電研責任者の座を、かの有名なトライアングル君に、引きわたしてしまう事になってしまった。そこで来年こそは、統一性と、活発さをもって活動して行くとと、それから、絶対に無線機を作り上げ、50MHzで開局するとと、以上を望みつつ筆をおく。
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2+ title : " 148"
3+ date : 2025-10-25
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9+ ---
10+
11+ ## 電波研究会
12+
13+ 我三年生は、この電度研究会を二年生の時から二年間、率いてきた。理由はと言えば、我々より一年上級の先輩が、 全員やめてしまったからである。そのため我々は当初、「この電研を二年間かけて後想の研究会にしよう」といきごんだのであった。しかし実際はといえば、二年生までは何とか持ちこたえたが、三年の7月ごろになってとうとう息切れしてしまった。その結果、我々三年生の存在は、電波研究会の「顧問相談役」という何ともなさけない形になり、実質的には、 二年生に指導権をゆずったのでした。
14+ しかし、この二年間の間にも少しは進歩がありました。ここでその二年間の活動の概略をお話ししましょう。
15+ 我々が二年生の初めに考えたことの中に、こんなのがありました。「現在、活発に活動していると言われている研究会も、内容的にいえば趣味の延長であり、 研究会として真に存在価値のあるものは皆無である。我々は、研究会本来の姿である研究ということをしていこう」というものです。地道を研究活動を続けるうちに、ゆくゆくは電研の発表につながるだろうと考えたのでした。しかし研究活動をする為には、知識と技術が必要です。 特に電研では、電子工学というやっかいな物があります。不幸なことに我々の中には、この電子工学を理解している者は二名しかいませんでした。その為、下級生にこれを教えるのに半年ほどかかっても終らず、最後には、各目にまかせてしまいました。ここで、我々がつくづく思ったことは、研究会にも知識的、技術的な指導者がいるということです。特に電研など中学生にしては高度な知識をあつかうものにはいえるようです。本来なら、そういう事も上級生が、下級生にを進えていくのが理想かもしれません。しかし、ほとんどの研究会がゼロから再出発しなければならない現在必要なことではないでしょうか。その点運動部はめぐまれた環境にあります。
16+ 話がだいぶそれましたが、この頃、我々は、知識の習得に力を入れ、研究会としての、いろいろな物の製作には、あたり力を入れませんでした。これは現在に至るまで同じ事が言え、その結果は前回、そして今回の学発の発表に現れ、その内容はさんたんたる物でした。もし、これに力を入れていたならば、もっと活動に活気が出たのではないかと思います。礎の力も大切ですが、製作により、経験的に知識や技術も身についたのではないかと、今になって思う次第です。
17+ 今後、電研を引っぱっていく〇〇君には、ぜひとも充実した楽しさがある電研にしてもらいたいのです。
18+ 電研よ永遠なれ!! 73 & 88
19+ 〇〇 僕に夢と希望を三年間あたえてくれてありがとう。電研は不滅です!
20+ 〇〇 電研の副責任者として、たいしたことはできなかった。ゴメンナサイ。サヨウナラ。
21+ 〇〇 一年の時は電研も楽しかったが、 しだいにさびれてしまい今ではひどいのだ。
22+ 〇〇 おれは電波に関する知識はとぼしいが、電研にかけた情熱はだれにも負けない。
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2+ title : " 149"
3+ date : 2025-10-25
4+ description : " 桐陰会雑誌 第149号"
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10+ ## 電波研究会
11+
12+ 早いもので、もう我々が首脳部として電研に君臨できるのもあと僅かだ。それでは、この一年の歩みを極めて利己的に書くことにする。
13+ 僕が先代の跡を継いで責任者の座に着いたのは去年の十一月だった。そして、その時怨念の会計係になったのがかの〇〇氏であった。知る人ぞ知る彼の図々しさ、口のうまさ、そして年寄り加減さ、それは特筆すべきものであり、まさに会計係に適任だった。同時に僕にとって責任者の座をおびやかす存在にもなった。
14+ そんな具合で我々の一年が始まった。学発後は惰性で過ごし、冬休みと同時に冬眠に入った。
15+ その頃〇〇氏は、生徒会予算では全クラブ中最も多い二八〇〇〇円を獲得して一同を驚かせた。
16+ 九人の新入生が入会後、新年度の活動計画を作った。それによると、「電子工学の基礎を学び、自分の手で一作品を作る。」となっていた。 一方、電研のアマチュア無線局JA IZXSの充実を計り、卒業生や会員外の構成員も入った。この様に、 この頃までは順調だったが、研究会不振の波は電研にも押し寄せ、まず 二・三年が幽霊になってしまった。 責任者までもが。だから、という訳でもないだろうが、一年生にも欠席が目立ち始めた。夏休み前から学発準備を始めたが、その頃はもう実質的なボスは〇〇氏で、彼の指揮下、学発参加責任者の〇〇氏を中心とした活動は素晴らしかったと思う。学発前数週間は僕も幾度が出席したが、 僕が居た時よりずっと充実した活動が行なわれていた。悲しいことに。
17+ 今年の学発は近年まれに見る盛況ぶりで、去年より内容の濃い発表だった。そう思うと、こんな僕でも来年が楽しみになるから不思議なものである。(三ノ四 〇〇)
18+ 〔今年の反省〕①三球ラジオの組み立てを途中でやめてしまった。
19+ ②先輩(技術的な指導者)捜し。せっかくS45卒の〇〇先生と会ったのに八月以降尻切れ。これは前年からの遺言なので来年も続けること。
20+ ③備品の修理。S52製作開始の無線機しかいじれず、「〇〇遺産」や去年のシンセサイザーまで手が回らず。
21+ ④学発。コンピューターの周囲は販やかであったが、去年の反省点「テーマを一つに!」は守れなかった。
22+ 結果として、今年の目標が工具購入であった為、新しいことはせず、 近年の活動をまとめる形になった。
23+ 最後に、我々の最高の指導教官〇〇先生、〇〇さんを初めとする諸先輩方、本当にどうもありがとうございました。次期責任者頑張れ!
24+ (三ノ二 〇〇)
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